明治時代に始まった琉球ガラスは戦後米国への輸出品として注目され、観光客へのお土産物として量生産されたのです。

空き瓶から作られた琉球ガラス

琉球ガラスは歴史が浅くとも注目されるまでの歴史があります

空き瓶から作られた琉球ガラス 明治時代の初頭に大阪や長崎から来た職人の技術を沖縄に伝授して始まった琉球ガラスは、比較的に歴史の浅い事から戦後になって注目されるようになったのです。それは戦争の疎開から帰宅した職人たちが、琉球ガラスを復興したのです。そして日常用品を沖縄の人々がガラス商品を購入する程度でしたが、割れないプラスティックやビニール製品に追われてしまい、衰退の時代がやってきます。しかし米国の軍事基地のある沖縄では、米国へのお土産として、注目された歴史があります。その特徴は、以前は廃瓶を利用した透明の瓶から米国から手に入れる色付きの瓶に真似た色付き琉球ガラスにしたところ人気がでたのです。その為に輸出に力を入れて米国へのガラスを売り込んだ時に「ryukyu」と言う印を入れたのが、琉球ガラスの始まりです。

それは1960年頃に米国は西海岸やグァムに輸出した時代ですが、その後は沖縄海洋博覧会の開催時に観光客へのお土産として量生産されるようになったのです。また生産風景を見せる観光スポットとして、琉球ガラスは益々知られるようになったのです。そこから知名度の高い沖縄の特産品として、観光産業に力を入れだした沖縄産業と一緒に生産も高まったのです。しかし現在では大量生産でなく、ブランド琉球ガラスとしてオリジナルを作り上げる体制に変わっています。それは売れた時期に琉球ガラスを模倣した偽者が出回った為です。そこから現在の工芸としての琉球ガラスがつくられています。

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